【コラム】怒っているのではなく、怒らされていないか

つい先日、Dave(ダヴ)とかいうボディソープで有名な企業の広告が炎上しているのを見かけた。

その広告の内容を一部抜粋すると、こんな感じ。

>「【顔の大きさ 17cm】顔の大きさが17㎝以下だと小顔であるという通説。」
>「【スペ110】(身長)-(体重)の数値。痩せているかどうかの基準とされている。」
>「【人中短い】鼻と上唇の間にある溝の部分のこと。溝の長さがカワイイかどうかに影響すると言われている。」

(引用元)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4f41178b772bebd31647fc71577ce9472de922c

つまり、Daveが伝えたかったであろうメッセージは、顔の大きさが17cmだとカワイイだとか、身長から体重を引いた数字が110を下回っていればカワイイだとか、そんなことは単なる通説でしかなくて、そんな基準に従わなくてもカワイイに正解はないんだから、その物差しに従いすぎる必要はないんだよというものを想定していたと思われる。

この広告を最初に見た時に「これの何がいけないんだ・・・?」と思ったのが第一印象。ただ、インターネットの反応を見ていると鬼のように燃え盛っていて、燃えている内容を覗いてみるとこんな感じだった。

「ここで否定されている、いわゆる『巷で言われているカワイイ』を逆に意識させてしまう内容なんじゃないか」

これを見て、過去に読んだ初心者のための心理学みたいな本のことを思い出した。その中の一節に「頭の中で黄色いゾウを思い浮かべないでください」と伝えると、それを伝えられた人は一度黄色いゾウを頭に思い浮かべてから、それを打ち消すように想像をするんだと。

だからその意見を聞いて、ここで挙げられているカワイイの基準とされている言葉は、いくら否定されているとはいえ、見た人に残るメッセージは「普通の人のカワイイの基準ってこうなんだ」となってしまう可能性がある。

特にそれが思春期でカワイイの基準なんて定まりきっていない学生が目にした時に、「自分は顔の大きさが17cmよりも大きいからカワイイじゃないんだ」とか「私は身長から体重を引いた数字が110よりも大きいから恥ずかしい体型なんだ」といった具合に、悪い方向に思考が巡ってしまうかもしれない。

「カワイイの基準なんて関係ない!」と伝えたかったところが、「巷ではカワイイっていうのはこういう基準なんだよ!」というのをおおぴろげにしてしまったことがルッキズムに配慮がないんじゃないかということで、この広告に批判が集まっているのだと。

これを見て、個人的な意見としては「うん、確かにそこまで配慮出来てない広告だな」と変化した。変化したものの、最初にこの広告のことを知ったポストが最初から強烈なディスを含む内容だったこともあり、そこに引っ張られて意見が変わったのではないかと考えている。

もし自分がこの広告を単体で駅で見つけていたら、「(変わった広告だな)」くらいにしか思わないでスルーしていたはずが、インターネットの否定的な意見と共に目にしたばかりに「良くない広告寄りだな」と思ってしまう自分がいる。

これを私は「怒らされている」のではないかと考えている。

今回は声を出して怒ったわけではないが、少なくとも早急に広告は撤去したほうがいいんじゃなかとは思った。怒っているか怒っていないかで言うと、結果的には怒っている側の意見になっている。

一方で先ほども述べたように、駅で偶然見かけていただけの広告であれば、この広告はスルーするだけの単なる広告でしかなかったはず(自分の想像力の無さやルッキズムに対する勉強不足も関係しているが)。

そして、このように「怒らされているんじゃないか」と思うことが他にも多々ある。このブログはサッカーを中心に記事を書いているものなので、例としてサッカーをあげてみるが、怒らされている人はかなり多いんじゃないかと思う。

ここ最近で一番分かりやすい例としてはFC町田ゼルビア関連の話。

実際に町田のやり方は好かれないはずだし、好かれてはいない。明確に何をしたかを定量的に説明するのは難しいし、じゃあどんなルールを破っていたかと問われても正しく説明しきれないが、サッカーをハックするようなやり方は個人的にもあまり好きではない。

とはいえ、町田が良いチームなのも確か。勝利に向けてここまで一直線に合理的なやり方はないなと思うほど強い。そこに関しての妥協がない点についてはリスペクトすべきところが少なからずある。

そんな町田だが、インターネットにおいては強烈な批判の渦中にいる。もはや何を言ってもどこからか槍が飛んでくるような状態。先ほど私も好きでないと言ったが、恐らく誰の心の中にもあるその感情を遥かに超えた量の批判が飛んできているように思う。

言い換えると、「怒らされている」人の意見も多いのだと思っている。

いま町田が批判に晒されるような記事やニュースはPV数が取れるのであろう。さまざまなメディアが「さあ!叩いていいんだぞ!」と言わんばかりの見出しをつけた記事をあげ、それに美しく批判が殺到する。

怒ることがダメでもないし、かといって怒らされることがダメな訳でもない。人それぞれ色々な意見があって、それはそれでいいと思うし、あとは見る側が不愉快な意見があるのだったらミュート・ブロック機能を使って、さっさと自分好みのTLに整えればいいだけの話である。

ただ、ここ最近のインターネット(特にX)は、だらだらと見ていると簡単に感情を支配される。

怒らされるし、悲しまされるし、ショックを受けさせられる。特に最近のXではおすすめタイムラインに「賛否分かれる意見」がよく流れる仕組みになっているようなので厄介だ。

インターネットに感情を支配されないように、自分の意見を持って、「怒らされる」ことがないようにしてくことが大事な気がする・・・。

コメントする